【おあとがよろしいようで】要約と感想│小説│書評

📚読書

私が大好きな小説家、喜多川泰さんの「人生応援小説」を紹介します。

喜多川泰さんの小説はどれを読んでもハズレがありません。

ぜひ多くの方に読んでもらいたいです。

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基本情報

発売日:2023年10月4日

ページ数:272ページ

出版社:幻冬舎

著者:喜多川泰さん

あらすじ

主人公である大学生の暖平(だんぺい)は、とあるきっかけで落語研究会に入部します。

そこでは芸名「背負亭こたつ(しょいていこたつ)」という名前をつけてもらうことに。

この芸名の由来は本書の冒頭ではっきりするので、読めばすぐに分かるはずです。

そんな落語研究会で様々な人に出会い、様々な経験をする暖平。

落語を通じて成長していく暖平を応援したくなること間違いなしです。

「おあとがよろしいようで」の意味

本書のタイトルでもある「おあとがよろしいようで」とは一体どのような意味なのでしょうか。

多くの人が本来の意味について誤解をしているそうです。

次の演目への橋渡し: 「おあと」とは「次の番組や演目」を指し、「よろしいようで」は「問題なく、良い感じで続けられます」という意味です。つまり、「次の出番も順調に進みますように」という願いが込められています。

なぜこの本のタイトルが「おあとがよろしいようで」なのかは、物語のクライマックスでわかります。

しっかり伏線回収しているところが喜多川泰さんの小説らしいところです。

人は出会ったもの全てで出来ている

喜多川泰さんの小説ではたびたび登場する「出会いを大切にする姿勢」が、本作ではまた違った視点で語られています。

例えば自分が生まれてから今まで、窓も扉も無い、壁や床や天井が真っ白な部屋で、点滴などの管を通して生きるために必要な栄養素が体内に送られるだけの日々を過ごしてきたとする。

そんな毎日だったとすると、今の自分はいったいどんな自分になっているだろうか?

少し考えただけでもゾッとしますが、これは極端な例であり、本質を突いていますね。

楽しいことも辛いことも全部ひっくるめて、自分というものを形作る大事な要素なんです。

そのような話を落語研究部の先輩から暖平は聞かされるのですが、その先輩も一応大学生という設定です。大学生にしてどれだけ人格者なんだよ、ってツッコみたくなる点も喜多川本の醍醐味でもあります。

暖平の父、文彦からマーケティングを学ぶ

暖平の実家は写真館を営んでいて、父、文彦は地域の色んなコミュニティのイベントに顔を出して写真を撮影するという仕事をしています。

主人公の暖平も幼い頃に運動会で父親に写真を撮ってもらったりしていたのですが、当時はそんな父親を煙たがったりしていました。

しかしひょんなことから暖平は父の仕事を期間限定で手伝うことになり、そこで父の苦労を知ります。

それはかつて自分が撮ってもらって嬉しかった写真ばかりだということに気が付くのです。

つまり父は被写体である人々がどう撮られれば喜ぶか、そして輝いて映るかを理解した上でシャッターをきっていたわけです。

この顧客起点の考えはまさしくマーケティングですよね。

仕事をする上で相手の立場に立って考える行為は基本中の基本でしょう。

父の仕事の意義を理解できた暖平は、そこからさらに成長していくのです。

楽しむために準備をする

暖平の1年先輩である凛からも人生における大切な教訓を学ぶことができます。

それは「勉強を楽しむために予習をする」ということ。

つまり、人生という貴重な時間を無駄にせず、楽しむためにも、しっかり準備をするのです。

我々ビジネスパーソンは仕事仕事の毎日です。仕事が面白くなければ人生が楽しくありません。仕事を楽しむためには準備をするのです。

仕事に関わる知識を身に付けたり、スキルアップに励んだり。

この考え方はポジティブで良いですよね。

仕事が嫌だから仕事以外で生きがいを見つけるのではなく、仕事を楽しむためにはどうすれば良いのか?という発想にも繋がります。

おあとがよろしいようで ーまとめー

「落語」をテーマにした本作は、普段全く縁がない私にとっては新鮮でした。

人生は出会ったもの全てで出来ているならば、この「おあとがよろしいようで」や「落語」とも私の中では出会いです。

これからの私の人生を豊かにしていく材料として、今後役に立っていってくれるかもしれません。

私も一つ一つの出会いに感謝しながら、毎日全力で生きていこうと思います!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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